義母のマルチの話
先日、義父についての記事を書いたので、義母についても書きたいと思います。
義母は埼玉のやや田舎(東武スカイツリーライン 沿い)出身、短大を出て就職し、義父と結婚しました。世田谷に住んでベンツに乗り、一流大卒の息子がいることステイタスに感じるタイプでした。実際には義父の給料だけでは世田谷のマンションのローンや私立の学費等は賄えず、家計は火の車でした。
そんな義母が、ある日突然「私ね、大金持ちになるわ」と宣言してきました。なんだか変な感じだなと思いましたが、特に害もないので当時は気に留めませんでした。
しばらくすると、義母は一本5000円近くするジュースやサプリメントを飲み始めました。義母曰く、「これはとても健康に良くて、ガンも治る」商品だそうでした。調べてみると、それらはとあるマルチ団体の商品でした。また、義母はそのマルチ団体によって書かれた「お金持ちになるためには」という本を読んだりセミナーに参加するようになっていました。
親戚を勧誘し始めたことから、夫はなんとかマルチから足を洗わせようと懸命に説得をしました。しかし、義母は全く聞く耳をもちませんでした。それどころか、「マルチを辞めないなら親子の縁を切りたい」とまで夫が言ったことに対して、親不孝者だと非難してくるような始末でした。義父や義弟は義母を止めようとする素振りを見せるどころか、義母に酷いことを言うなと夫を責めました。
そのうちに、義母の体調が明らかに悪化し始めました。マルチの商品に、義母の持病を悪化させる成分が含まれていたからです。
普通だったら、マルチを辞めて病院の治療を受けるところです。しかし義母はなぜか「もっとマルチのジュースとサプリを摂取しなくては」と考え、さらに追加でマルチ商品の大量購入をしようとしました。「ジュースとサプリでガンも治る」というマルチの謳い文句に洗脳されていたのです。
流石に義父と義弟もこれはおかしいと感じ、ようやくマルチを脱会するべきだという夫の話に耳を傾けてくれるようなりました。なんとか家族総出で義母を説き伏せてマルチを抜けさせ、きちんと病院で治療を受けさせることができました。
義母がマルチにハマった原因は、彼女の逃げ癖にあると考えています。問題や課題に対してきちんと向き合わないところが義母にはあります。そのため、真っ当な努力はせずに楽してお金を稼ぎたがったり、病気になっても辛い治療や食事制限ではなくサプリメントに頼るなどしてしまうのだと思います。また、義父と離婚しない理由も、世田谷での暮らしを捨てて一からやり直すのが嫌だからだと思います。
義母のこの悪癖には今もまだ現在進行形で苦しめられていますが、また別の機会に記事にしようと思います。
義父にクレカを不正利用された話
何度かTwitterでは書いていますが、うちの夫の父(私にとっての義父、以下「義父」とします)とは絶縁しており、娘にもほとんど会わせていません。
絶縁のきっかけは、ある日カード会社から夫にかかってきた電話でした。普段全く使用していないカードで、突然利用額が10万円を超えたため、不正利用の疑いがあるとのことでした。全てAndroidのスマートフォンからの利用ということで、カード会社の方が念のためGoogleアカウントを教えてくれました。
カード会社「(義父の本名)@gmail.comからのご利用です。お心当たりはごさいますか?」
なんと義父が出会い系サイトに課金していました。ちなみに、親族による不正利用のためお金は返還されません。夫がそのことについて電話で義父を問いただすと、「うるせえ、俺は40年間真面目に働いて定年退職してやっと自由になったんだ!少しくらい遊んで何が悪いんだ」と逆ギレされました。
夫のクレジットカードを勝手に使ったことや、義母に散々迷惑(義父は精神を病み、40代半ばからまともに会社には行けていません)をかけてきたことは素っ飛ばした回答でした。さらに、夫や私が苦言を呈したことに逆ギレした義父からは、「今からお前らを殴りに行く。ぶん殴るからな」「お前らなんてもう要らない!」と電話でまくし立ててきました。
結局、口だけで実際に殴り込みの被害は受けませんでしたが、もしも本当に義父が来たらと考えるとその日の夜は眠れませんでした。
その後、義母がカードの使用状況や銀行口座の残高等を調べると、なんと1ヶ月で200万円をデリヘルに使用していました。また、カードローンも200万円ほどありました。(使途は不明です。)
流石に私も夫も、もう付き合いきれないと感じました。義母には離婚を勧め、住む場所がないなら我が家に来るように伝えました。結局、義母はしばらく我が家に居座ったあげく、義父の退職金と年金のおこぼれを貰いたいということで、離婚はしませんでした。
その結果、義母はカルト宗教に入信してしまうのですが、こちらはまた別の機会にブログにあげられたらと思います。
英検一級に合格したので、どんな勉強したか記録
嬉しいことに英検一級に一発合格しました。テンションが上がったので、どのような対策をしたかブログに書きます。
◯英検一級を受けた理由と勉強前の英語力
英検を受けようと思ったきっかけは、育休からの復職後、会社で受けたTOEICです。元々900点オーバーだったのが、出産前後は英語に全く触れていなかったので850点になりました。決して低い点数ではないですが、個人的にはショックだったので英語を勉強しよう、せっかくなら英検一級も取ろうと決めました。
◯勉強時間
フルタイムワーカーかつ1歳児がいるため、平日は昼休みと娘が寝た後の時間を使っていました。休日は上記に加えて娘の昼寝時間(2時間程)を勉強にあてることができました。試験の2ヶ月前くらいから勉強をスタートしました。
<一次試験の対策>
◯使用したテキスト
英検1級出る順パス単(旺文社)
英検1級過去6回全問題集(旺文社)
英検1級ライティング大特訓(アスク出版)
English Journal(アルク)
◯過去問で実力チェック
一次試験は、リーディング・リスニング・ライティングの合計で70%以上正解すれば合格出来ます。(各科目の比重は1:1:1です)
正解率70%までに何が足りないのか、何を勉強するのかを確認するため、まずは過去問を一回分、通しで解きました。
結果として、勉強開始時点で私に足りなかったのは下記のポイントでした。
・リーディング
語彙力。長文読解の問題も、語彙力不足で誤答していました。
・リスニング
長期に渡って英語に触れていなかったので、耳が完全に鈍っていました。
・ライティング
こちらも長いこと遠ざかっていたので、書き方の基本型を忘れていました。また、語彙力不足から書きたいことが書けていませんでした。
◯試験2ヶ月前の勉強
・リーディング対策
『出る順パス単』でとにかく語彙をインプットしました。
とはいえ、全部覚えるのは無理なので、「でる度A」の単語700語と熟語300語に注力しました。この範囲を覚えれば、読解問題でほぼ満点近く取れるようになると思います。語彙問題も6割くらいは取れるので、リーディング全体でギリギリ正解率7割いきます。
・リスニング対策
在宅勤務時や通勤時にポッドキャストでNHKとBBCの英語ニュースを聴いていました。また、個人的にはインタビュー問題が鬼門だなと感じていたので、インタビュー形式に慣れるためにEnglish Journalを一月分読みました。
◯試験1ヶ月前
週末に過去問を通しで一回解き、平日はその復習をしました。
また、ギリギリ過ぎるかなとは思いましたが、ライティングの対策を開始しました。具体的には『英検1級ライティング大特訓』を使用して、英作文のフォーマットを覚えました。このフォーマットに沿って作文するだけでも、個人的には6割程度の得点は貰えるのではないかと思います。また、本書にはライティングで頻出のトピックとその論点が載っているので、とても参考になりました。
◯一次試験の結果
得点率74.6%で合格しました。内訳はリーディング76%、リスニング67%、ライティング81%です。
<二次試験の対策>
◯使用した参考書
『完全攻略!英検1級二次試験対策』(アルク)
◯英語の勉強の前に
二次試験は5つのトピックから1分でお題を選んで、2分間のスピーチを行い、面接官と質疑応答する形式です。お題が難しいので、スピーチ出来ない理由は知識不足のためか、英語力不足のためかのどちらかです。
そのため、まずは自分の知識力をテストすることにしました。具体的には準備時間30秒で自分の意見と、それをサポートする理由(最低二つ、具体例付きで)をしっかり考えられるのかを確かめました。
英語以前に知識不足の場合は、『完全攻略!英検1級二次試験対策』のテキストで、頻出トピックについて学習しました。
◯英語の勉強
知識の問題をクリアしたら、2分間という制限時間は気にせずに英語でスピーチを行いました。
頻出トピックについては、一通り練習し、関連語彙等をおさらいしました。ヤマさえ当たれば、合格するだろうなというレベルには達していたと思います。
◯二次試験の結果
無事に得点率75%で合格しました。
トピックは「終身雇用制は維持すべきか?」といった内容のものを選択しました。
ヤマがばっちり当たったわけではなかったのですが、普段から働かないのに給料だけ高いおじさんにヘイトを溜めていたため、しゃべり倒すことができました。
年金に関するトピックを練習していたので、そこも上手く内容に取り込むことが出来たのも大きいと思います。
ちなみに、質疑応答は全てスピーチに関するものでした。
スピーチに関すること以外の質問が来ると落ちているという噂がありますが、それは本当なのかもしれないなと感じました。
◯終わりに
一回で合格するとは思っていなかったので、その場凌ぎの学習になってしまったかなぁと思っています。語学の勉強にゴールはないと実感しました。
久しぶりの更新
このブログの存在をすっかり忘れていた。
せっかくなので、近況を書く。
1. コロナ禍
昨年からのコロナ禍で、世界はすっかり変わってしまった。
このような状況になるといつも、「行きたいところや欲しいもの、したいことがあるなら、すぐに実行にうつすべき」という言葉が頭に浮かぶ。
子どもを産んで、ボンヤリしていたら旅行に行ける世相でなくなってしまった。残念。
2. 学習
家にいる時間が増えたので、資格試験や語学などに取り組むようになった。
2022年に30歳になるので、それまでに英検一級を取得したいと思っている。
一次試験は突破したので、2021年度中に二次試験を合格したい。合格したら、勉強法をまとめておこうかなと思う。
40歳までにマルチリンガルになりたいので、英検一級を取得したらフランス語かスペイン語に取り組みたい。
3.育児
2019年に生まれた娘は絶賛イヤイヤ期だ。
なんでも「ヤダ!!」と返してくる。
可愛いけれど、困るときもある。でも、そんなものだと思っている。
また、昨年から復職したので保育園に通わせている。
同年代かつ似たような家庭環境の子が多く、とても娘は良い影響を受けていると感じる。
こんなところだろうか。
2021年はもう少し気軽に投稿しようと思います。
おかわりしたい旅先 サンフランシスコ編
私と夫には「読書」という共通の趣味がある。特に二人とも好きなのは、ビート・ジェネレーションの作家だ。夫はケルアックが、私はギンズバーグが好きで、夫婦揃って立派なビートニクだ。そんな我々ビートニクにとって、聖地とも言える場所がサンフランシスコである。(写真はCity Lights Books近くの交差点)
そんなサンフランシスコで絶対に訪れたかった場所は、City Lights Booksだった。ここは1950年代に、ビートニク達が集まった書店で、現在でもポエトリーリーディング等のイベントが行われている。非常に雰囲気があってワクワクした。
サンフランシスコはビート・ジェネレーションだけでなく、ヒッピーの聖地でもある。ヒッピー達は、ビートニクの精神を受け継いだので、ビートニクである私たち夫婦は勿論ヒッピー文化も大好きだ。当然のようにヒッピーの街、ヘイト・アシュベリーにも足を伸ばした。
歩いているだけで最高にサイケデリックで楽しい街並みだった。怪しい葉っぱも売っていた。
普通の観光もした。観光船に乗ってカリフォルニアの海に出て、ゴールデンゲートブリッジや監獄で有名なアルカトラズ島を眺めた。
髪がバサバサになったり顔がカピカピになったりしたものの、海風が気持ちよかった。パラセイリングしている人も沢山いた。楽しそうだったので、いつかチャレンジしてみたい。
勿論フィッシャーマンズワーフにも行った。サンフランシスコの代名詞とも言える看板を発見した時は、流石にテンションが上がった。
観光客向けのクラムチャウダーも食べた。意外と高い(十二ドルくらいだったと思う)割には、容器となっているパンは恐ろしく不味く、二度と食べないと思った。ちなみに滞在中に食べたもので美味しかったのは、エッグベネディクトとチャイナタウンの中華だった。中華は裏切らない。
ホテルはVertigoという、その名の通りヒッチコックの映画『めまい』で使用されたところに宿泊した。
フロントでは『めまい』のDVDをずっと再生していた。また、フロント係の黒人のおじさんが気持ちの良い人で、そこまで豪華なホテルではないがまた訪れたくなった。
サンフランシスコは何日でもいられる素敵な街だった。是非とも今度行く際はパラセイリングに挑戦したい。
世界遺産スタンプラリー② サンクトペテルブルク
国立西洋美術館についての記事を書いた際、ふと今まで訪れた美術館の中で印象に残ったところはどこだろうかと考えた。ウフィツィ美術館、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館など、色々なところへ行ったが、一番はエルミタージュ美術館だった。世界遺産スタンプラリー二箇所目は、エルミタージュ美術館のあるサンクトペテルブルクについて書く。
サンクトペテルブルクへは、モスクワで飛行機を乗り換えて向かった。真冬に訪れたため、市内を流れるネヴァ川は凍っていたのを覚えている。滞在時の気温はマイナス十度程で寒かったが、これは四月並みの気温で暖冬だったそうだ。
「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」という形で世界文化遺産に登録されているだけあり、沢山の見どころがある。最も有名なのは、エカチェリーナ二世によって建てられた冬宮を本館とするエルミタージュ美術館だろう。
美術館そのものが美しい宮殿なので、階段を降りたり、廊下を歩くだけでも気分が高揚する。
収蔵作品の価値も素晴らしいものばかりだった。サンクトペテルブルクには四日間滞在したが、そのうち三日はエルミタージュに費やした。特に気に入った絵はマティスの『赤のハーモニー』だ。鮮やかな、これぞフォーヴィズム!という色彩に衝撃を受け、これ以降マティスは私の最も好きな画家の一人となった。
余談になるが、この絵を見た後、ロビーでボンヤリとしていたら、綺麗なロシア人女性から日本語で話しかけられた。多分エ●バだろうなと思いつつ、会話してみるとやはりエ●バだった。ちょっと悲しかった。
エルミタージュはロココ建築なので、あまりロシア独特の雰囲気はない。ロシアに来たなと思わせてくれた建物は、血の上の救世主教会だ。
ロシア皇帝アレクサンドル二世が暗殺された場所にある。あまりロシアっぽさのない街、サンクトペテルブルクでは珍しい、名前も由来も外観も、全てがロシアに溢れた教会だった。
上記の他にも、マリインスキー劇場でバレエを鑑賞したり、ドストエフスキーやレーニンが収監されていたペトロパブロフスク要塞では、うっかり心霊写真を撮ってしまったりした。
ビザを取得するのが少々面倒ではあるが、また機会があればロシアに行きたいものだ。
世界遺産スタンプラリー① NMWA
毎年毎年増えていく世界遺産。全ての場所に行くのは難しいけれども、行ったところを記録に残したいと思う。
記念すべき一箇所目はNMWAこと、国立西洋美術館。(HP https://www.nmwa.go.jp/jp/index.html )
東京に住む人にとっては、一番身近な美術館だ。「ル・コルビュジエの建築作品」の一つとして、2016年に世界文化遺産へ登録された。ル・コルビュジエの設計ということで、かなりスッキリしたモダンな外観で、中もオシャレである。
常設展は松方幸次郎さんという、センスの塊が集めたコレクションが中心となっている。
一番有名な作品は、ロダンの『考える人』だろう。
私が気に入っている絵はピエール・ボナールの『働く人々』だ。
結構大きな絵で、セーヌ川を背景に労働者が描かれている。実物は写真より鮮やかな色で、ピンクがとても綺麗だ。
企画展については、諸外国との「外交関係樹立○○年」を記念して行われるものが特に気合いが入っていると感じる。近年だと、2016年のカラヴァッジォ展(日伊150年)、2018年のプラド美術館展(日西150年)、そして現在開催中のハプスブルク展(日墺150年)などだ。
国立西洋美術館の企画展を訪れる際の注意としては、必ず階段の昇降があるので、子連れの際は抱っこ紐を持っていくと良い。エレベーターもあるが、何度も階段の移動があるので、正直ちょっと面倒だった。ベビーカーはインフォメーションで預かってもらえるので、上野まではベビーカーで来て、中は抱っこ紐移動が楽だと思う。
恐らく、私の人生の中で最も訪れる回数が多い世界遺産はここなんだろうな。
(画像は全て国立西洋美術館のHPより引用しました)